古明地さとりの素晴らしさについて語る
さとり様の素晴らしさについて書き記しておきます。
さとり様の、妹に対しての考え方や行動
1.こいしの様態を不憫に思い、回復を見込んでペットを送る。(地txt)
2.こいしを心配していることを他人(華扇)に告げている。(深対戦会話)
その一方で
3.こいしと面と向かっている時はサバサバしている。(深ED)
さとり様のペットとの関係性
1.放任主義。理由は「動物たちは放し飼いが一番ストレスが溜まらなくて良いから」(地マリパチェ会話)
2.動物たちには好かれている。(地txt)
3.さとりは動物たちを非常に信頼しており、彼女たちが悪いことをするなんて考えてもいない。(地txt)
4.動物たちはさとりの元で成長し、強力な妖怪になる。(地マリパチェ会話)
5.お空が増長したとしても、さとりがお空を始末するようなことは「勿論ない」(地txt)
いくつかの点として、
地マリパチェ会話においての「長年会ってないから今頃どうなっているのかわからない」というものの指す先が、
「灼熱地獄温度管理をしてるのはお空」「猫にはそんなことはできない」「最深部=お空のいる場所を開放する」といった所から
地れいゆか会話での「ペットに避けられている」というのは、お空単体を指すと思われ、
そもそもお空は地以降でも殆どずっと地底で過ごしている(口授)そうなので、
元々お空があまり灼熱地獄から出たがらず、さとりも会いにいったりしないので顔を合わせてないだけだと思われる。
茨でも他の動物たちはさとりの側についてたし。
これらのことから、
さとりがこいしに対して元に戻るように言い聞かせないのは、
動物たちに対して「ストレスが溜まらないように」の配慮と同じように、
「私は元に戻って欲しいけど、こいしが好きなようにしたらいい」という形で放任主義だと思われ、
心の内ではこいしのことを心配しつつも、それをこいしの前では出さないようにしてるんじゃないかとか、
「こいしとしては別にそれが楽しいんだから何の問題もないが、周りから見ると少し可哀想にも見える。」の地txtから、
今を楽しんでるこいしを、無理やり昔苦しんだこいしに戻してもしょうがないという気持ちがあるのではとか、
自主的に戻ってもらえるように促したいとか、そういう風に考えてるんじゃないのかなーって思う。
動物たちに対しても、
動物から彼女に好かれているという文はあるのに、
さとりから動物たちを好いているという文はどこにもない。
これはさとりとしては別に可愛がってるつもりもないが、動物たちからはそれに非常に恩義を感じているから、
このような一方的に好かれる関係になっているのではないだろうか?
つまりさとりは素で根っから非常に優しく慈愛のある人物と言えるだろう!
そもそも長年会ってないペットがどこにいてどういう役やってるかがすぐにピンと思い出せるんだしね。
東方における勢力図では、多くの面で強さによる支配という面があるが(紫とか天狗勢鬼勢とか最たるもの)
地霊殿においては全くそうではないことがわかる。
さとりは戦闘は得意ではない(茨)と言われている上、沢山いる動物たちは皆強力な妖怪に成長しており、
お空なんかは神の領域にまで達しているにも関らず、誰一人として反逆を企てないからだ。
お空は「地上を灼熱地獄にして支配する」と言っていただけで、さとりを倒して自分が伸し上がるというわけじゃないことと、
そもそも灼熱地獄はさとりの土地なので、
灼熱地獄というさとりの領土を広げて恩返しをしたかったのではという論も唱えられてしまう!
極めつけはお燐で、
こいしのtxtの「ペットの猫のように遊んで帰ってきては、また遊びに出て行ってしまう。」や、
こいしがマミゾウの裁きを食らった時に猫になる所、橙がどこで何してるのかは藍にもよくわかってない所から、
猫はつかみどころがないとか自由なとかそういう象徴であることがわかるが、
お燐はそんな猫にも関らず、さとりの言うことを聞いてさとりから受けた仕事を黙々とこなしている。
これが恩義故の忠実さ以外で何があろうか。畏怖の念というのもあるが、
そもそも嫌ならさとりの元を離れてもさとりはそれも良いと考えるだろうし(放任主義)
お燐は好きでさとりの元にいて、好きでさとりから仕事を受け持っていると言える。
これはすごいことじゃなかろうか。だって猫だぜ。
これらの点からさとり様は素晴らしいと言える。
さとり様は素晴らしいのだ。姉としても地主としても素晴らしいのだ!!!
追記:口授にてさとりの扱いが妙に悪いけど、果たしてどうだろうか。
さとりがコミュニケーションを放棄してるか、と言うと別にそんなことはないだろう。
来客があれば普通に接してるあたり、向こうから来てくれるなら応じているわけだ。例え嫌われていようとも。
むしろさとりとのコミュニケーションを放棄してるのは周囲のほうである。
地での会話を見ればわかるはずだ。そもそも彼女が外に出ようが、周囲が彼女を嫌がって逃げてしまうんだから、
結局相手がコミュニケーションを放棄しているのだから、さとりからどうしたってどうにもならないのだ。
それをして「コミュニケーションを放棄」だの「逃げているのはさとりのほう」だの言われるのは可哀想な話である。
地txtにおいて、「心を読むということは自らの心の強さ」とか「こいしは他人の心を受け入れるのを拒否した」とか
「さとりはこいしに他人の心を受け入れられるようになってほしいと考えてる」ってのがある。
つまりさとりはめちゃくちゃメンタルが強く、嫌われることについてもしょうがないと割り切っているのだろうと推測できる。
彼女は決して逃げてなどいない。ただ、自分を押し付けるような真似をしていないだけの話である。
これだけの"厄介者"が外界に出てきてコミュニティに割って入るようなことがあったらどうなるか考えてみてほしい。
大変な迷惑になるしコミュニティが崩壊するのは目に見えたことだろう。
さとりには他人に迷惑をかける気なんてさらさらないだけだろう。
動物たちに対する放任主義と同じように、多妖怪に対してもわざわざ構いにいったりはしないということだ。
来るもの拒まず去るもの追わず。
この最高レベルのコミュニケーション駆け引きを会得しているキャラが東方でさとり以外にいるだろうか?
やはりさとり様は素晴らしい!!!
1.こいしの様態を不憫に思い、回復を見込んでペットを送る。(地txt)
2.こいしを心配していることを他人(華扇)に告げている。(深対戦会話)
その一方で
3.こいしと面と向かっている時はサバサバしている。(深ED)
さとり様のペットとの関係性
1.放任主義。理由は「動物たちは放し飼いが一番ストレスが溜まらなくて良いから」(地マリパチェ会話)
2.動物たちには好かれている。(地txt)
3.さとりは動物たちを非常に信頼しており、彼女たちが悪いことをするなんて考えてもいない。(地txt)
4.動物たちはさとりの元で成長し、強力な妖怪になる。(地マリパチェ会話)
5.お空が増長したとしても、さとりがお空を始末するようなことは「勿論ない」(地txt)
いくつかの点として、
地マリパチェ会話においての「長年会ってないから今頃どうなっているのかわからない」というものの指す先が、
「灼熱地獄温度管理をしてるのはお空」「猫にはそんなことはできない」「最深部=お空のいる場所を開放する」といった所から
地れいゆか会話での「ペットに避けられている」というのは、お空単体を指すと思われ、
そもそもお空は地以降でも殆どずっと地底で過ごしている(口授)そうなので、
元々お空があまり灼熱地獄から出たがらず、さとりも会いにいったりしないので顔を合わせてないだけだと思われる。
茨でも他の動物たちはさとりの側についてたし。
これらのことから、
さとりがこいしに対して元に戻るように言い聞かせないのは、
動物たちに対して「ストレスが溜まらないように」の配慮と同じように、
「私は元に戻って欲しいけど、こいしが好きなようにしたらいい」という形で放任主義だと思われ、
心の内ではこいしのことを心配しつつも、それをこいしの前では出さないようにしてるんじゃないかとか、
「こいしとしては別にそれが楽しいんだから何の問題もないが、周りから見ると少し可哀想にも見える。」の地txtから、
今を楽しんでるこいしを、無理やり昔苦しんだこいしに戻してもしょうがないという気持ちがあるのではとか、
自主的に戻ってもらえるように促したいとか、そういう風に考えてるんじゃないのかなーって思う。
動物たちに対しても、
動物から彼女に好かれているという文はあるのに、
さとりから動物たちを好いているという文はどこにもない。
これはさとりとしては別に可愛がってるつもりもないが、動物たちからはそれに非常に恩義を感じているから、
このような一方的に好かれる関係になっているのではないだろうか?
つまりさとりは素で根っから非常に優しく慈愛のある人物と言えるだろう!
そもそも長年会ってないペットがどこにいてどういう役やってるかがすぐにピンと思い出せるんだしね。
東方における勢力図では、多くの面で強さによる支配という面があるが(紫とか天狗勢鬼勢とか最たるもの)
地霊殿においては全くそうではないことがわかる。
さとりは戦闘は得意ではない(茨)と言われている上、沢山いる動物たちは皆強力な妖怪に成長しており、
お空なんかは神の領域にまで達しているにも関らず、誰一人として反逆を企てないからだ。
お空は「地上を灼熱地獄にして支配する」と言っていただけで、さとりを倒して自分が伸し上がるというわけじゃないことと、
そもそも灼熱地獄はさとりの土地なので、
灼熱地獄というさとりの領土を広げて恩返しをしたかったのではという論も唱えられてしまう!
極めつけはお燐で、
こいしのtxtの「ペットの猫のように遊んで帰ってきては、また遊びに出て行ってしまう。」や、
こいしがマミゾウの裁きを食らった時に猫になる所、橙がどこで何してるのかは藍にもよくわかってない所から、
猫はつかみどころがないとか自由なとかそういう象徴であることがわかるが、
お燐はそんな猫にも関らず、さとりの言うことを聞いてさとりから受けた仕事を黙々とこなしている。
これが恩義故の忠実さ以外で何があろうか。畏怖の念というのもあるが、
そもそも嫌ならさとりの元を離れてもさとりはそれも良いと考えるだろうし(放任主義)
お燐は好きでさとりの元にいて、好きでさとりから仕事を受け持っていると言える。
これはすごいことじゃなかろうか。だって猫だぜ。
これらの点からさとり様は素晴らしいと言える。
さとり様は素晴らしいのだ。姉としても地主としても素晴らしいのだ!!!
追記:口授にてさとりの扱いが妙に悪いけど、果たしてどうだろうか。
さとりがコミュニケーションを放棄してるか、と言うと別にそんなことはないだろう。
来客があれば普通に接してるあたり、向こうから来てくれるなら応じているわけだ。例え嫌われていようとも。
むしろさとりとのコミュニケーションを放棄してるのは周囲のほうである。
地での会話を見ればわかるはずだ。そもそも彼女が外に出ようが、周囲が彼女を嫌がって逃げてしまうんだから、
結局相手がコミュニケーションを放棄しているのだから、さとりからどうしたってどうにもならないのだ。
それをして「コミュニケーションを放棄」だの「逃げているのはさとりのほう」だの言われるのは可哀想な話である。
地txtにおいて、「心を読むということは自らの心の強さ」とか「こいしは他人の心を受け入れるのを拒否した」とか
「さとりはこいしに他人の心を受け入れられるようになってほしいと考えてる」ってのがある。
つまりさとりはめちゃくちゃメンタルが強く、嫌われることについてもしょうがないと割り切っているのだろうと推測できる。
彼女は決して逃げてなどいない。ただ、自分を押し付けるような真似をしていないだけの話である。
これだけの"厄介者"が外界に出てきてコミュニティに割って入るようなことがあったらどうなるか考えてみてほしい。
大変な迷惑になるしコミュニティが崩壊するのは目に見えたことだろう。
さとりには他人に迷惑をかける気なんてさらさらないだけだろう。
動物たちに対する放任主義と同じように、多妖怪に対してもわざわざ構いにいったりはしないということだ。
来るもの拒まず去るもの追わず。
この最高レベルのコミュニケーション駆け引きを会得しているキャラが東方でさとり以外にいるだろうか?
やはりさとり様は素晴らしい!!!