幻想卿妖怪が人を食べることを考える
考えがまとまったので一度書き残します。
そのうちイラストつけてピクシブか何かにのっける予定。
●食べているとする根拠
1.妖怪は人間の恐怖心を糧として生きている。
恐怖させることができなければいけない。腑抜けになってしまう。
2.求聞口授では「小傘は、驚かす程度しかできないので危険は少ない」とあり、
裏を返せば、それ以上に危険度の高いキャラクターは
「驚かす以上の実害を与えてくるので危険である」ということになる。
3.求聞史記によれば、人間の里で「暴れる妖怪は殆どいない」
「ここから外に出ない限り大きな被害はない」とあり。
逆に、里から出れば大きな被害に会う可能性があるということになる。
4.それらの被害、実害が一体何なのかといえば
求聞史記によれば、妖怪の大前提として人を食べる者とされ、
襲わない者であれば星やうどんげ等のように特別に、襲わないと書かれている。
そういった、人食い否定記述がないキャラクターは、妖怪の前提に則り、
人を食べ、害を与えるということだろう。
そのうちイラストつけてピクシブか何かにのっける予定。
●食べているとする根拠
1.妖怪は人間の恐怖心を糧として生きている。
恐怖させることができなければいけない。腑抜けになってしまう。
2.求聞口授では「小傘は、驚かす程度しかできないので危険は少ない」とあり、
裏を返せば、それ以上に危険度の高いキャラクターは
「驚かす以上の実害を与えてくるので危険である」ということになる。
3.求聞史記によれば、人間の里で「暴れる妖怪は殆どいない」
「ここから外に出ない限り大きな被害はない」とあり。
逆に、里から出れば大きな被害に会う可能性があるということになる。
4.それらの被害、実害が一体何なのかといえば
求聞史記によれば、妖怪の大前提として人を食べる者とされ、
襲わない者であれば星やうどんげ等のように特別に、襲わないと書かれている。
そういった、人食い否定記述がないキャラクターは、妖怪の前提に則り、
人を食べ、害を与えるということだろう。
●食べていないとする根拠
求聞史記あとがきにて、
「今では妖怪に食べられるということもほとんどない」、
「人攫いもポーズとしての人攫い」と明記されており、
「能力や危険度はキャラクターの主張によりやや過剰になっている」とある為、
それらは全て(断定的な文章であっても)嘘であり人は食べない。
しかしもしもそうであるのなら、
5.幻想郷縁起は幻想卿内での公開情報である。つまりこのあとがきも公開情報である。
これではもはやブラフ、はったりとして成り立っていない。
読んだ人は実害が無いことを知り、妖怪は恐怖を与えられなくなる。
6.一度攫われた人も実害が無いことを理解するだろう。
人攫いが嘘であることが口伝いにバラされ、妖怪は恐怖を与えられなくなる。
7.もしそれを知った上で、口先だけの恐怖したフリで成り立つのなら、
吸血鬼異変以前でも、それで妖怪の力を保つことができたはずなので、その線はない。
人間は害の無いと「分かりきってるもの」に恐怖するようなことは絶対にない為、
幻想卿はすぐさま、人間が安全圏から妖怪を楽しむだけの、妖怪水族館となってしまう。
「ポーズとしての人攫い」では幻想卿の大前提から崩れてしまうので、
幻想郷縁起の嘘とはあとがきの事で、個別項目を真としたほうが辻褄があう。
●幻想郷縁起の人を絶やさずに人を食べる方法
よく言われるのが、人を食べてしまったら幻想卿内の人がいなくなるという話だが、
里の中は安全である為、その線は絶対ありえない。
人々が恐怖してる以上、安全な里に篭るのは自明の理であり、
幻想卿の恐怖システムが機能している限りは里の外でいくら人を食べようとも
幻想卿内の人が食べつくされるようなことは決してない。
里から人がホイホイ出るようなことがあれば、それは人が恐怖していない証拠であり、
既に幻想卿の恐怖システムが崩壊していることになる。
人里が範囲を決められているとすれば、その中で人は安全に繁殖するだろう。
しかし増えれば人でいっぱいになり、人里内に住む所のない人間が出る。
彼らは里外れに住むことになるだろうが、人里の範囲内ではない為、
彼らは妖怪に狙われ、襲われ、食べられることになる。そうして人の数は一定に保たれる。
明治初期頃の普通出生率は30前後であったとされるので、
その当時の普通出生率を今も保っているのであれば、
人里が10万人規模なら毎年3000人、100万人規模なら毎年30000人が
単純計算で食べられても問題ない数値といえる。
病気や事故、人里内での殺人、旅行先での捕食等でも減ることを考慮すれば
里人は里の限界数よりもある程度少ないだろうし、子供を増やそうともするだろう。
吸血鬼異変以前に人が襲えなかったのも人がいなくなるからではなく、
巫女を倒してしまうわけにはいかないから(史記P112)である。
巫女が人を庇う限りは何があっても断念せざるをえなかったものを、
スペルカードにより巫女でも負け、妖怪の道理が通る可能性を生み出したのだろう。
求聞史記あとがきにて、
「今では妖怪に食べられるということもほとんどない」、
「人攫いもポーズとしての人攫い」と明記されており、
「能力や危険度はキャラクターの主張によりやや過剰になっている」とある為、
それらは全て(断定的な文章であっても)嘘であり人は食べない。
しかしもしもそうであるのなら、
5.幻想郷縁起は幻想卿内での公開情報である。つまりこのあとがきも公開情報である。
これではもはやブラフ、はったりとして成り立っていない。
読んだ人は実害が無いことを知り、妖怪は恐怖を与えられなくなる。
6.一度攫われた人も実害が無いことを理解するだろう。
人攫いが嘘であることが口伝いにバラされ、妖怪は恐怖を与えられなくなる。
7.もしそれを知った上で、口先だけの恐怖したフリで成り立つのなら、
吸血鬼異変以前でも、それで妖怪の力を保つことができたはずなので、その線はない。
人間は害の無いと「分かりきってるもの」に恐怖するようなことは絶対にない為、
幻想卿はすぐさま、人間が安全圏から妖怪を楽しむだけの、妖怪水族館となってしまう。
「ポーズとしての人攫い」では幻想卿の大前提から崩れてしまうので、
幻想郷縁起の嘘とはあとがきの事で、個別項目を真としたほうが辻褄があう。
●幻想郷縁起の人を絶やさずに人を食べる方法
よく言われるのが、人を食べてしまったら幻想卿内の人がいなくなるという話だが、
里の中は安全である為、その線は絶対ありえない。
人々が恐怖してる以上、安全な里に篭るのは自明の理であり、
幻想卿の恐怖システムが機能している限りは里の外でいくら人を食べようとも
幻想卿内の人が食べつくされるようなことは決してない。
里から人がホイホイ出るようなことがあれば、それは人が恐怖していない証拠であり、
既に幻想卿の恐怖システムが崩壊していることになる。
人里が範囲を決められているとすれば、その中で人は安全に繁殖するだろう。
しかし増えれば人でいっぱいになり、人里内に住む所のない人間が出る。
彼らは里外れに住むことになるだろうが、人里の範囲内ではない為、
彼らは妖怪に狙われ、襲われ、食べられることになる。そうして人の数は一定に保たれる。
明治初期頃の普通出生率は30前後であったとされるので、
その当時の普通出生率を今も保っているのであれば、
人里が10万人規模なら毎年3000人、100万人規模なら毎年30000人が
単純計算で食べられても問題ない数値といえる。
病気や事故、人里内での殺人、旅行先での捕食等でも減ることを考慮すれば
里人は里の限界数よりもある程度少ないだろうし、子供を増やそうともするだろう。
吸血鬼異変以前に人が襲えなかったのも人がいなくなるからではなく、
巫女を倒してしまうわけにはいかないから(史記P112)である。
巫女が人を庇う限りは何があっても断念せざるをえなかったものを、
スペルカードにより巫女でも負け、妖怪の道理が通る可能性を生み出したのだろう。